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http://kazokuchannel.doorblog.jp/archives/49297989.html

443: おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2011/08/01(月) 17:14:33.01 ID:WXscm7F/
転校した先の小学校で月に1回、登校時、
「差別反対!」「戦争反対!」「いしかわ返せ!」
と(ほぼ)全校生徒が町内を練り歩く、という行事があったこと。

たてまえ上は自由参加となっていたが、
参加しなかった生徒はその日の全体朝礼で、朝礼台の横に並ばされ、
参加しなかった理由を言わなくてはならなかった。

よそから来た自分は何を言えばいいのか全くわからなくて、
まごまごしていたら、その行事の責任者みたいな教師の一人が
「自分、2年1組○○は、活動に賛成していないので参加しませんでした」
と大きな声で言うように指示してきたが、緊張して混乱している自分は言えず、
20分ほど、マイクで「自分、2年1組○○は、活動に~」と言われ続けた。

マイクの音声が自宅に届いていたらしく、様子を見に来た母親に
朝礼終了と同時に連れ帰られ、その学校には二度と登校しなかった。
いしかわが誰なのかは未だに知らない。

444: おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2011/08/01(月) 17:22:10.02 ID:uvg1x+t5
>> 443
とんでもねえw
学校名表に出していいレベルじゃないのそれw

445: おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2011/08/01(月) 17:36:54.06 ID:WXscm7F/
もう30年近く前の話だからね。(当方33歳。)
大人になってから調べたら、その学校は部落解放活動のモデル校みたいな存在だったらしく、
その活動の全国的な広報誌にも何度も取り上げられてたみたい。
当然というかなんというか、その学区は丸ごと元被差別部落。
さらに言うと、当時その市の9割以上が部落解放運動の会員で、
越境通学をしても状況が変わらないと思われたため、我が家は再度引っ越した。

当時、父も母も被差別部落というものの知識はあったが、
21世紀も間近なこの時代に現存しているとは思ってもおらず、
引越しの際に全く考慮しなかったそうで、それも衝撃的だったとか。

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72. 名無しさんファミリー 2017年11月30日 05:53 ID:6oFZ.Bmv0
大阪市立あ◯こ中学も醜かったよ。
特定地域の連中は授業料や給食代がタダだった。あれは逆差別だと意見したところ、相談室で教師三人に囲まれて往復ビンタされた。まさにキ◯ガイ教育だったよ。


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https://twitter.com/sasouonna11/status/866709690830290945

これ、同和中学で、石川さんが犯人だと思うって言った生徒は高校進学出来なくなったのよね、内申に何書かれたんだか?
これだけ教育して、強制課外活動させているのに理解出来んか?って親呼び出し、授業受けれず、何日も反省文書かされ、進学が断たれる、浪人して偏差値上げても、夜間しか無理。

同和中学で石川さん支援で活動するのは自由だけど、警察が正しいって信じる生徒も少なからずいるわけで、言論風圧、強烈なペナルティーは酷いなんてもんじゃなかった。
私もこの事件を聞くと胸糞が悪くなる、石川さん無罪!って凄まじい圧力を受けた事は。
無罪か有罪かは、正直わからんけど。

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https://twitter.com/sasouonna11/status/697081541902540800

同和教育って、同和以外に人権なくなる教育ですよ。
同和地区だけで公務員の教師が公民館借りて特訓て塾したり、狭山事件で石川さんが犯人だと思うって言ったら、高校行かれへん、人生潰される。
内申は同和の生徒に融通、どんな馬鹿も進学できる。

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https://twitter.com/sasouonna11/status/606668487432368128

と言っても、狭山事件の石川さんが犯人だと思う、と発言して大問題になり、高校進学できなかった生徒、私は二人は知ってる。
内申書の下駄履きとか、当時の事を思い出すと、教育の異常に腹が立つ。

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学校でのその手の話はいくらでもありますね。
それが同和地区が嫌がられる原因になってきましたし、平等に扱おうという人を裏切ってきました。

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無題
被差別部落の実態について正しい真実を後世に伝えていく必要があります。正しい真実と書いたのは今まで一般的に言われてきた被差別部落の実態や学校教育で語られてきたことが間違いだらけだということです。一般的に言われている被差別部落のイメージだけが独り歩きしてしまいマイナスの被差別部落像が作られてしまっていると思うのです。例えば被差別部落はいつも貧しくて哀れで悲しみに満ち溢れているかのごとく語られてきましたよね?今までの学校教育にしろ世間で語る場合にしろ。だけど果たしてそれが真実なのかと考えたときに、近年いろんな研究がなされて事実は違うということが言われてきたんです。てか江戸時代の人口のほとんど90%が百姓身分なので、その中で先祖が1%の穢多身分であったって物凄くかっこよくないですか?わたしはそう思うのですが(^^)また、近年の研究において江戸時代の穢多の生活実態は経済的に比較的安定していたと考えられています。江戸期の人口動態を見てみますと一般的に百姓の人口が停滞・減少しているのに対して穢多の人口は着々と増加しています。これは百姓は飢饉で餓死したり村を離れる中で、生まれた子どもを間引くということをしていたからです。しかし穢多は子どもを間引くということをせず、子どもを育てていくだけの経済力がありました。穢多は主産業は農業です。農業に加えて特権として与えられていた草場権や、行刑役などをして生活していました。これも地域によって異なりますが、私の生まれ育った地域では少なくとも江戸期から農業をしてきました。なぜわかるのかというと、この地域は江戸時代に相次ぐ飢饉で百姓が餓死・村を捨てて出奔したことで農業人口が減少し、藩の政策により他地域から人々を移住させ農業人口を保ったことによります。その移住してきた人々は百姓とは呼ばれず作方便利人という名称で呼ばれ、これがのちの被差別部落になりました。私の先祖もこのとき他地域から移住してきたと思われます。主産業が農業ですので百姓とまったく同じように農地を持ち年貢を納めてきました。事実、明治初期の記録を見てみますと、被差別部落の者で農地を数町所有する者が多くいます。小作人に農地を貸付けるだけの農地を所有する被差別部落の地主も多く、我が家の本家などは所有する農地が少ないほうですが、それでも明治時代から数町の農地を所有しており作男と呼ばれる奉公人を雇っておりました。またその他の記録では、明治十年代に被選挙権を持つ被差別部落の者がおりますし、町誌によると明治半ばの村会議員名簿に多くの被差別部落の者が載っております。明治三十年代の富豪家一覧表という記録には、私の曾祖父の義兄(姉の夫)が村の富豪家として記載されております。また私の地域では江戸期につくられた墓石も残っておりますが、ちゃんと名字も彫られています。もちろん被差別部落です。元治元年七月十日水瀬イヨ(仮名)、弘化四年十一月一日七十一年柳川カヨ(仮名)のように墓石が作られたのは江戸時代末期ですがきちんと名字が記載してあります。もちろん全ての墓石に名字が彫られているわけではなく天保九年松五郎母などのように名字が彫られていない墓石もあります。このように被差別部落であっても必ず貧しいわけではなく、地域によって生活実態は全く違いました。特に江戸時代の穢多は貧しいどころか、百姓よりもよっぽど経済的に安定し、むしろ豊かだったのです。このような事実もあるということを多くの人は知らなさすぎますので、まずは事実を知るということが大事なのではないかと思います。あと一人の人間にどれだけの先祖がいるかを考えてみてください。父母二人、祖父母四人、曾祖父母八人、高祖父母十六人、その上三十二人、その上六十四人と遡っていくので、ものすごい数の先祖がいます。そのうちのたった一人でも欠けていたら質問者さまはこの世に存在しないんです。その莫大な数の先祖のすべての当時の身分や職業などを正確に把握してますか?そもそも把握は出来ないなずなので、それを考えると被差別部落とか被差別部落じゃないとか何の意味ももたないということです。ただ一つ言えることはどの身分であろうが、先祖がその時代を精一杯生きてきたからこそ、子孫があり、質問者様がいまを生きることが出来ているということです(^^)
けろた| | 2019/03/09(Sat)00:40:05| 編集
Re:無題 けろた様への返信
けろた様
初めまして。コメントありがとうございます。

カムイ伝や解同の歴史解釈じゃなく、多様で前向きで肯定的な歴史解釈もいいですね。


>被差別部落の実態について正しい真実を後世に伝えていく必要があります。正しい真実と書いたのは今まで一般的に言われてきた被差別部落の実態や学校教育で語られてきたことが間違いだらけだということです。一般的に言われている被差別部落のイメージだけが独り歩きしてしまいマイナスの被差別部落像が作られてしまっていると思うのです。例えば被差別部落はいつも貧しくて哀れで悲しみに満ち溢れているかのごとく語られてきましたよね?今までの学校教育にしろ世間で語る場合にしろ。だけど果たしてそれが真実なのかと考えたときに、近年いろんな研究がなされて事実は違うということが言われてきたんです。てか江戸時代の人口のほとんど90%が百姓身分なので、その中で先祖が1%の穢多身分であったって物凄くかっこよくないですか?わたしはそう思うのですが(^^)また、近年の研究において江戸時代の穢多の生活実態は経済的に比較的安定していたと考えられています。江戸期の人口動態を見てみますと一般的に百姓の人口が停滞・減少しているのに対して穢多の人口は着々と増加しています。これは百姓は飢饉で餓死したり村を離れる中で、生まれた子どもを間引くということをしていたからです。しかし穢多は子どもを間引くということをせず、子どもを育てていくだけの経済力がありました。穢多は主産業は農業です。農業に加えて特権として与えられていた草場権や、行刑役などをして生活していました。これも地域によって異なりますが、私の生まれ育った地域では少なくとも江戸期から農業をしてきました。なぜわかるのかというと、この地域は江戸時代に相次ぐ飢饉で百姓が餓死・村を捨てて出奔したことで農業人口が減少し、藩の政策により他地域から人々を移住させ農業人口を保ったことによります。その移住してきた人々は百姓とは呼ばれず作方便利人という名称で呼ばれ、これがのちの被差別部落になりました。私の先祖もこのとき他地域から移住してきたと思われます。主産業が農業ですので百姓とまったく同じように農地を持ち年貢を納めてきました。事実、明治初期の記録を見てみますと、被差別部落の者で農地を数町所有する者が多くいます。小作人に農地を貸付けるだけの農地を所有する被差別部落の地主も多く、我が家の本家などは所有する農地が少ないほうですが、それでも明治時代から数町の農地を所有しており作男と呼ばれる奉公人を雇っておりました。またその他の記録では、明治十年代に被選挙権を持つ被差別部落の者がおりますし、町誌によると明治半ばの村会議員名簿に多くの被差別部落の者が載っております。明治三十年代の富豪家一覧表という記録には、私の曾祖父の義兄(姉の夫)が村の富豪家として記載されております。また私の地域では江戸期につくられた墓石も残っておりますが、ちゃんと名字も彫られています。もちろん被差別部落です。元治元年七月十日水瀬イヨ(仮名)、弘化四年十一月一日七十一年柳川カヨ(仮名)のように墓石が作られたのは江戸時代末期ですがきちんと名字が記載してあります。もちろん全ての墓石に名字が彫られているわけではなく天保九年松五郎母などのように名字が彫られていない墓石もあります。このように被差別部落であっても必ず貧しいわけではなく、地域によって生活実態は全く違いました。特に江戸時代の穢多は貧しいどころか、百姓よりもよっぽど経済的に安定し、むしろ豊かだったのです。このような事実もあるということを多くの人は知らなさすぎますので、まずは事実を知るということが大事なのではないかと思います。あと一人の人間にどれだけの先祖がいるかを考えてみてください。父母二人、祖父母四人、曾祖父母八人、高祖父母十六人、その上三十二人、その上六十四人と遡っていくので、ものすごい数の先祖がいます。そのうちのたった一人でも欠けていたら質問者さまはこの世に存在しないんです。その莫大な数の先祖のすべての当時の身分や職業などを正確に把握してますか?そもそも把握は出来ないなずなので、それを考えると被差別部落とか被差別部落じゃないとか何の意味ももたないということです。ただ一つ言えることはどの身分であろうが、先祖がその時代を精一杯生きてきたからこそ、子孫があり、質問者様がいまを生きることが出来ているということです(^^)
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