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谷元昭信も辻本正教も大阪市立大学で教えています。解放同盟大阪府連はどうして大阪市立大学に食い込んでいるのかと思ったら、こんな経緯があったんですね。
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北口末廣、奥田均、熊本理抄といった解放同盟関係者を教員にしている近畿大学でも、同じころ同じような出来事があった模様。
社会運動標榜ゴロによる組織乗っ取りの常套手段ですな。
https://kindai.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=13026&item_no=1&attribute_id=40&file_no=1
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近畿大学教授Y氏を糾弾した浪速支部書記長の長谷川とは、長谷川初巳のことでしょう。社会運動標榜ゴロと呼ぶのは誇張でも何でもありません。
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1974年11月から12月にかけて、部落解放同盟大阪府連合会浪速支部で、同支部書記長の長谷川初巳とその弟の部落解放浪速生協専務理事長の長谷川睦男らを中心とする長谷川派が、浪速地区の同和地区施設からあがる利権に目をつけ、同和促進協議会(同促協)浪速地区会長の中林栄治を病気と偽り、勝手に作った辞任届を大阪市同促協に提出した。これに怒った中林派が長谷川派の私腹を肥やす乱脈ぶりを暴露し、山口組系暴力団白神組を使って実力行使に出た。
『部落』1987年第39巻61ページ
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大学紛争中の 1969 (昭和 44 )年 6 月に商学部助教授の差別発言が起こり、続いて 11 月には文学部助教授による差別発言問題が起こった。このため、 12 月、本学は部落解放同盟大阪府連合会の糾弾を受けた。この 2 つの事件を受けて、商学部においては教養科目「部落問題論」、専門科目「部落産業論」を開講することとし、全学としては 1970 (昭和 45 )年 10 月に同和問題担当教員を専任化して体制を整え、 1971 (昭和 46 )年 5 月に同和問題研究会を発足させ、 1973 (昭和 48 )年 3 月から同和問題研究室研究員会議を開催した。
『大阪市立大学の125年: 1880-2005年』122ページ
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【解放同盟大阪府連による大阪市立大学乗っ取りの歴史】
*1969年6月 - 商学部助教授の「差別発言」。
*1969年11月 - 文学部助教授の「差別発言」。
*1969年12月 - 大阪市立大学が解放同盟大阪府連の糾弾を受ける。この結果「部落問題論」「部落産業論」の講座を開かせられる。
*1970年10月 - 同和問題担当教員を専任化させられる。
*1971年5月 - 同和問題研究会を発足させられる。
*1973年3月 - 同和問題研究室研究員会議を開催させられる。
*1973年11月 - 解放同盟大阪府連副委員長の泉海節一らが大阪市立大学に「同和地区の生徒の学力が低いのは差別の結果であるから、成績が悪くても入学をさせて、部落解放の立場で闘う医師や弁護士をつくるのが当然」と訴え、同大学の医学部と法学部に対して解放同盟関係者の子弟の優先入学(「委託学生制度」)を要求。
*1974年5月15日 - 大阪市立大学の森川学長が記者会見を開き、医学部における「委託学生制度」を受け入れる方向で検討すると発表。
教員の発言にイチャモンをつけるところから始め、解放同盟関係子弟の裏口入学枠を作らせるところまで話を持っていく。
この無茶苦茶な強引さと段取りの良さはプロですわ。
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学力の低い人が医学部や法学部に入っても国家試験に通るのは難しいと思うんですけどね。
僕は「黒人」に変装して医学部に合格した――アファーマティブ・アクションは「差別」なのか?
http://www.huffingtonpost.jp/asahiglobe/affirmative-action_b_9649686.html
「最近亡くなった連邦最高裁のスカリア判事が、アファーマティブ・アクションの恩恵に預かった者は「失敗する運命にある」と発言して話題になったけれど、僕はそのリビング・プルーフ(生き証人)だ。勉強はてんでだめだった」
「アファーマティブ・アクションが恵まれない人たちの利益になっているという神話が広がっているけれど、僕は、究極の人種差別だと思う。すべてのアフリカ系とヒスパニックが恵まれない人たちだと決めてかかっている。
僕自身のことをいえば、母親は医者で、マサチューセッツ州西部で最も裕福な街で育ち、高級車を乗り回していた。アフリカ系であると偽って医学部に出願したときに、僕はこうした事実をすべて開示した。にもかかわらず、大学は喜んで僕を優遇政策の枠内の志願者と認めた。当時のガールフレンドは白人の中流階級の女の子で、「なんで裕福なあなたがアファーマティブ・アクション枠なの?」とけげんな顔をしていたよ」
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単なる妄想ではないことを示すために出典があったほうが良いでしょう。
大阪市立大学125年史編集委員会『大阪市立大学の125年: 1880-2005年』(大阪市立大学, 2007)122ページと尾崎勇喜『差別事件―その怖るべき人権蹂躙』(文理閣, 1980)140ページです。
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http://noranekonote.blog.shinobi.jp/Entry/840/「大阪市立大学は解同に乗っ取られた」説と資料
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