「正義」の運動をすると。公平に関係者のことも批判しなくてはいけなくなります。
行動する保守へのカウンターの方々の中には、問題発言もあります。私の懇意の方々がその問題発言を批判しています。私もその問題発言を批判をすべきか? 小異を捨てて、行動保守の差別発言批判に専念すべきか?
「正義」の運動をしていくと。平に関係者のことも批判しなくてはいけなくなります。
私の大変恩義ある心の師匠の主張とも、ぶつかります。
公平に批評すべきか、どうか。今、本当に迷い中です。
私の恩義ある心の師匠。男性フェミニスト。被差別(在日、同和)利権やヘサヨや北朝鮮系には厳しいのはいいけど。このことになると無茶苦茶おもしろいの。
でも、行動保守には甘いのがなんとも・・・。ふしぎなところで、分岐点があって。今が一番微妙な時期で。迷う。
もうじき外山氏『デルクイ』2号発売予定とか。微妙な顔ぶれで、今は微妙な時期で。1号発表から、時の経過とともに顔ぶれも企画も原稿も微妙になったなあ~。その微妙さをどう総括するか? 今がまさに正念場やけど。どうするん?
3月に大阪で金友が御堂筋デモで「♪チョンコ~チョンコ~♪」、キナが「チョンコレイプ殺せ」って全盛期(?)に、外山が『デルクイ』2号を出版して、金友ゲストで出版イヴェントと中継をやれば大成功(?)できてたかも。炎上商法かもしれんけど。今は微妙。
出版イベントで、元しばき隊も男組もカウンターのみなさんも招致して大激論になれば話題になるし売れるか。
むりそう・・・
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http://noranekonote.blog.shinobi.jp/Entry/283/私の敬愛してきた方々の迷走
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